いくりんのブログ

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

影山優佳さんと日向坂46(後編)

 あれから半年が経過し、ひらがなけやきを取り巻く状況は大きく変わった。ひらがなくりすますのアンコールからライブに参加した三期生の上村ひなのを加えたひらがなけやきは2月11日の建国記念の日の衝撃的なSHOWROOM配信をもって大きく世間的に羽ばたいていく。

 

 昨年の1月の武道館3daysを成功させ、アルバムの発売が決まり、テレビ、ラジオ、雑誌等のメディアへの露出が増えていったひらがなけやき。ライブ経験でもファンと作り上げるライブの熱量においてもひらがなけやき漢字欅を上回っていったと思われる(それは今も上回っていると思われる)。それは漢字欅の無能力を意味しない。欅坂46は大所帯アイドルという、アイドルオタクの特定の人たちに受けるエンタメの可能性を大きく広げていったという意味で、アイドルシーンに刻まれる存在になることは間違いない。漢字欅の妹分であったひらがなけやきがそのブランドイメージの恩恵にあずかり、人気を確実に高めていったという面も否定できない。しかし、そのチャンスを活かすも殺すも彼女たち次第だったというのもまた否定できない事実ではなかろうか。これまで説明したように、与えられた小さなチャンスを着実に掴み、人気を博していくようになったひらがなけやきはもはや漢字欅の妹分という枠内では収まりきらない大きな存在になっていた。ファンの間で独立、シングルデビューといった機運が高まる中で、新たな坂道グループ「日向坂46」への改名を告げられた彼女たちの心境はいかなるものであっただろうか。

 影山優佳は活動休止前最後のブログでこう綴っている。

これからひらがなけやきは超人気グループになります。グループだけじゃなくてメンバー一人一人にスポットライトが当たるようになります。これは私の勘に過ぎませんが、そうだと信じています影山優佳公式ブログ2018/6/1 https://www.hinatazaka46.com/s/official/diary/member/list?ima=0000&ct=4

その勘はもはや勘ではなく現実のものになっているわけだが、彼女自身が改名にどのようなイメージを持ったかは定かではない。齊藤京子ひらがなけやきのままでは漢字欅の中に一生埋もれたままで世間的に大きく知られることがないという危機感を持っていたことは、プロフェッショナルとしてアイドルを務め上げるという意味では素晴らしい意識だ。しかし、皆が皆、突然の発表に、「嬉しい」という単純な感想を抱けたわけではないだろう。

 一般に人は変化を恐れる。現状維持を続けることに安堵感を覚える。それ自体が悪いわけではない。たいていの大人はそうやって生きて、食べて、それを幸せだと感じて毎日を過ごしている。(秋元康プロデュースの)アイドルはどうか。必然的に変化を生きなければならない。自らが人気を得るためには何をすればいいか、人気を維持するためにはどうすればいいか、他人から認められるためにはどのような行動が求められるのかといったナイーブな問題は、ひらがなけやき時代からずっと継続して彼女たちに課されてきた。そうした課題をクリアするために途方もない挫折を経験し、暗い日々を歩みながら一筋の光を求め努力し、「ハッピーオーラ」という謳い文句とともにアイドルシーンに勢力を拡大してきた彼女たちにとって、「日向坂46」への改名は新たな変化と言えよう。

 状況の変化、立場の変化に振り回されてきた彼女たちにとってこの改名は、グループとしてはプラスだったのではないかと思われる。デビューシングル「キュン」の売り上げや握手会の盛況具合を見れば、実感として日向坂46の勢いを感じ取ることができる。メンバー個人でも齊藤京子加藤史帆のレギュラーラジオや、加藤史帆、佐々木久美、佐々木美玲高本彩花小坂菜緒女性誌の専属モデルとしての活躍は日向坂46が外部へと進出していることの証左であり、ますますこの傾向は強まっていくだろう。

 では、日向坂46がこれまで以上に新たなファンを獲得し、日本のアイドルシーンは日向坂46なくして語れないと言われるほどになるとして、彼女たちを熱心に応援するファンは幸せなのだろうか。それはまた別の問題だと思うのである。ファンがグループを応援しているのか、特定のメンバーを見ているのかはまちまちであり、一概に人気が出れば良いとは言えない。そもそも、人気が出れば出るほど、ファンは推しのアイドルと接触することが難しくなる。アイドルを支えたい、自分がアイドルを大きくしていきたいと思うファンにとって、握手会やイベントでその気持ちを伝えることが相対的に困難になると、何を目的にアイドルを応援したら良いのかという虚無感に襲われる。メンバーの顔が見られてちょっとしたお話ができるという当初の喜びは、ますますメンバーと親しくなりたいという欲望に変わり、それが叶わなくなってふと我に返ると、自らの不幸を嘆いたり、運営はおかしいと自暴自棄になったりする。場合によっては、その状況を不当に感じて、特定のメンバーと法律すれすれの交流を持ったり、実際に交流して警察沙汰になったりするようなファンも一部いるようだ。それは一体何なのか。あほらしいと傍観者になって見ているだけで、私たちはその問題に無関係でいられるほど強い人間だと誰が保証できようか。

 日向坂46に対する懸念はファンの側だけではない。メンバー個人のメンタリティーは果たして正常を保つことができるのかという問題もある(そしてそれはアイドルそのものが抱える本質的な問題とも言える)。二十歳前後の若い女性がアイドルという得体のしれない業界に入っていき、アイドルとしてファンに笑顔を振りまいたり、可愛らしい仕草や声でファンの気分を癒したり、パフォーマンスでファンに勇気を与えたりすることは並大抵の精神力でできるものではない。また、先ほど言ったように、常に変化の状況に自らを適応させていかなければならないという難しい立ち回りが求められている。それには、アイドルを卒業した後の進路や、ひとりの人間としてどのような将来を歩んでいきたいかといったマクロ的な問題も含まれる。しかし、基本的にファンは利己的だ。ファンは消費者であり、アイドルに自らの理想を投影したり、魅力的なアイドル像を重ね合わせたりする。アイドルが負荷を抱えながら生きていること、その負荷に耐えられずにドロップアウトする人がいるということ、その負荷を助長するファンがいるということ、そのことに自覚的である必要がある。

 アイドルは楽しく応援するというのが一番である。日向坂46は純粋に「アイドルって楽しいよね」と思わせてくれる素晴らしいアイドルグループだと感じる。影山優佳というアイドルは、そのことを直接的に感じていたからこそ、休業中の今でも日向坂46の唯一無二の「広報担当」として、冷静に、時にはお茶目に、メンバー一人一人に対する期待と喜びと幸せをファンと共有する。それは、メンバーでありながらファンであるからこそできる彼女だけの特権だ。その特権はいずれ失われる。否、彼女なら特権を返上すると言うだろうか。アイドルという憧れの世界に戻ってくるのか、アカデミックな世界から民間、国家への関わりにシフトしていくのか、それは誰にも分からない(おそらく、本人も分からないと思われる)。私たちに分かるのは、影山優佳というアイドルが実際に存在していたという事実、その存在に多くの人たちが勇気づけられたということだ。そしてこれからも多くの人たちと関わり、多くの人たちの心を癒し、時に怒り、時に傷つき、時に自己矛盾に喘ぐだろう。しかし、彼女ならどんな困難だって前向きに乗り越えていけそうな気がする。前向きに冷静に、アクティブに丁寧に、挑戦する日々を祈念して。

 

本文は、2018年12月に執筆した拙文「ひらがなけやき影山優佳」を大幅に加筆・修正したものである。