いくりんのブログ

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

3-2は1だけど3-1は2だ。だからどうというわけではない。ただ、この数式に込められた意味合いは気になる

こんにちは。お久しぶりです。ついに私もゴールデンウィークに突入しました。コロナの影響でなかなか外に出られないので、窮屈な感じはありますが。最近は基本的に在宅勤務体制で会社には行かないはずが、社内でしかできない仕事が立て込んだため、想像以上に残業することになりました。色々なストレスもありますが、それは置いておいて、今回、ある楽曲について取り上げようと思います。その曲は、HKT48の13thシングル「3-2」です。2020年4月22日に発売されたシングルでYouTubeにミュージックビデオが配信されているので、まだ聴いたことが無い方は是非聴いてみてください。

 


【MV full】「3−2」MV / HKT48[公式]

 

さて、タイトルだけだと何のことやらわからない「3-2」。曲を聴けばわかりますが、どうやら僕と君とあいつの3人の話のようです。僕が好きな君はあいつと付き合っていて、あいつと僕は親友という、古典的な性愛の三角形を描いた作品です。あいつが君と二人で勝手に懇ろに付き合っているのではなくて、僕とあいつは親友ですから、3人で会って喋ってはしゃいだりするようです。僕からしたら、いたたまれない気持ちになりそうですね。

 

この曲には「3-2」や「3÷2」など、いくつかの数式が出てきます。この数式は単なる引き算や割り算ではなくてきちんと意味があります。それを読み解いていきましょう。

1番のサビで、「3-2なら孤独が残る」という歌詞が出てきます。3-2の計算結果は1ですが、それぞれの意味合いは何でしょうか?

恐らくこの数字はこの3人に関わる人数であることが予想されます。三角関係の歌であることがわかるので、まず、3は問題なく「君とあいつとなぜか僕」と言うことができるでしょう。続いて2は文脈的に、付き合っている二人と考えるのが自然なので「君とあいつ」でしょう。そして残された1は「僕」ということになります。これは2番で「そしてさよならと帰るのは1人」という歌詞が出てくることからもわかります。3-2をした結果、僕は取り残されてしまったのでしょう。それは「君のせいでも、あいつのせいでも、誰のせいでもない」から誰かを恨んで攻撃したり、友情を壊したりするような真似はできないのです。

ちなみに、「2-2には絶対になれない」という表現もなかなか難解です。通常の文脈で言えば、僕と君が付き合うことはできないという意味になりそうですが、それだと2-2=0を説明しにくくなります。したがって、僕と君が付き合うという形を数式に反映するにはどうすれば良いかを考えました。そこで思ったのは、従来の2は「君とあいつ」ですから、それは残し、もうひとつの2を「君と僕」の二人と考えます。そのような状況(ある意味、「君」の二股)が同時に成立することは僕にとってはあってはならないことなのです。それを良しとする人間もいるかもしれませんが、この主人公は友情を崩壊させ、君も幸せにできないような選択は避けたいのです。

そして続く、2番の歌詞は印象的です。

 

近すぎて遠すぎる君さ

親友のことは裏切れない

一緒にいると切なくなるんだ

愛は正直だ

 

そしてさよならと帰るのは1人

君とあいつは いつも残って Ah

胸の(痛み)気づいて(いない)

だから上手く行く

 

 

この歌詞からは、僕が君への思いを伝えず、親友のことを裏切れず孤独で1人帰るからこそ、二人は上手く行くんだという主人公の悲痛なプライドが表現されています。しかし、そのような利他精神を働かせたところで、自分の君に対する本当の気持ちに嘘を付くこともできず、その狭間で切なさや胸の痛みがこみ上げてきます。秋元さんはここで「愛は正直だ」という表現を用いています。ここで「恋」ではなく「愛」という表現を用いているのが味噌です。1番の最初に「恋は独り言」という表現が出てきますが、この対比が意味するのは、「恋」が君に対する一方的な気持ちであるのに対して、「愛」は君に対する恋心はもちろん、親友(や君)に対する思いやりの気持ち(友情)を含んだ複雑な感情なのでしょう。それはある意味、男のしょうもないプライドや強がりのようなものなのかもしれませんが、そのような美学は男性としては理解できるものだと思います。

2番サビで「3÷2」という表現が出てきますが、ここはそこまでの深い意図は無いと私は思います。おそらく、「僕だけ余る」という表現に適合的なのは割り算だからでしょう(ワンペアと1人余るニュアンス)。実質的には「3-2」と大きく意味が変わるわけではありません。ただし、3÷2の計算結果が1.5なので、3-2=1という計算結果からの変化という観点は考えておかなければならないかもしれません(計算結果が3-2=1、3÷2=1.5、3-1=2と段々と増えていくごとに、決断の意思が固まっていっているのかもしれません)。

 

さて、大サビで物語が展開してifが語られます。もし僕が君に告白したらどうなるのだろうという仮定です。比較的ストレートに予想が述べられます。親友は切れて友情は崩壊してしまい、同時に君を困らせたくないのに困らせてしまう。今まで示唆されてきた内容が明確に表現されていると見ることができます。

僕は3人の関係性、友情をぶち壊しにしてしまうようなことはしたくなかったけれども、君を好きな感情は抑えきれないし、アンビバレントな感情を抱き続けることに耐えられません。それが、曲の最後に「3-1なら割り切れるだろう」という表現に暗示されます。3-2で1人孤独に残されるのであれば、3-1つまり、「君とあいつと僕」から「僕」が自ら立ち去ることを決意します。今のまま3人の関係性の中で孤独を感じながら生きるのではなく、親友を裏切ることなく、友情を捨てるのです。果たしてそれは親友を裏切っていないと言えるのでしょうか?二人とともにその場にいることが辛くて仕方がないという気持ちは非常によくわかります。僕が自分の意思をもって立ち去ることで二人が幸せならそれでいいという割り切りがあったのかもしれません。ただ、自らの退場によって二人が幸せであれば良いという優しさは見方によってはかっこよいのかもしれませんが、本人にとって本当に納得のいく決断だったのでしょうか。その点については聞き手の想像力で補うことになります。

以上、「3-2」の世界の長ったらしい解釈でした。歌詞の世界はもとより、杉山勝彦さんの作曲がまた素晴らしいものがあります。特に、彼の曲の場合はリズムを意識して聴くとより楽しめるのではないかと思います。

 

終わり