いくりんのブログ

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

ジェンダーと歴史学

 私は大学時代、西洋史について研究していました。西洋史は高校で学ぶ世界史のなかでヨーロッパを中心とした地域の歴史と考えていただければ良いと思います。もちろん、西洋史という表現は日本から見た相対的な尺度ですので、西洋史は日本固有のものです。ヨーロッパの人々にとって自らの国や周辺の国の歴史は「西洋史」ではありません。それは、いわゆる「西洋中心主義」なるものに繋がる議論ではありますが、ここではそれは省略します。

 私が興味のあった分野はジェンダーでした。昔読んだジョーン・スコットの『ジェンダー歴史学』という本は、この分野の古典として読み継がれていくであろう名著ですが、そこで言われる社会・文化的性差のことを一般に私たちは「ジェンダー」と呼んでいます。社会・文化的性差ということは、社会や文化の変化に応じてジェンダーの在り方も変わっていくということです。

 

 

ジェンダーと歴史学 (平凡社ライブラリー)

ジェンダーと歴史学 (平凡社ライブラリー)

 

 

 例えばですが、男らしさや女らしさといったものが例として挙げられます。結婚を例に取るのが分かりやすいと思うのですが、ある時期までは日本においても結婚をしていることが社会的に当然とされ、結婚をしていない男女はどこか問題があるのではないかという文化がありました。今もその名残はありますが、現代の日本において、結婚しなくてもひとりで自由に生きていくことは個人の自由として認められ、経済的な問題と合わせてごく自然のこととなりつつあります。そのことの是非については置いておいて、男らしさ(例えば、結婚して妻子を養っていくこと)や女らしさ(例えば、結婚して夫を支え子供の面倒を見ること)といったジェンダーが時代や社会の流れとともに変化しているというのは否定できない事実だと言えます。

 そうしたジェンダーというもの、正確には、男らしくとか女らしくとかいった押し付けがましい議論について懐疑的だった私は、果たしてそれらは歴史的に見て重要な在り方なのか、一過性の流行りに過ぎないのか、その相対化を図りたいという意図もあってジェンダー歴史学についての研究を始めました。

 研究対象としたのは、近代のイギリスでした。近代のイギリスというと、いわゆる「大英帝国」が世界に覇権を握っていた栄光の時代というイメージがあります。世界各地に植民地を抱え、世界の銀行として金融資本の中心地シティは大きく栄え、世界政治の中心にいたイギリスを強く華やかで魅力的だと感じる人は非常に多いと思います。しかし、イギリスが残した負の遺産、とりわけ、植民地時代のインド(及びパキスタン)、中東、南アフリカなどに対する政策は後に強烈な負の影響を残したということは言うまでもありません。それに比べるとイギリス国内の問題は、あまり知られていないかもしれません。例えばイギリスの選挙法改正については、高校の世界史の教科書にも登場するほどメジャーで重要な事項ではありますが、ただ単に選挙権が広げられていったという歴史の事実しか教えてもらえないため、それが生じた社会的状況や人々の価値観といったものは度外視される傾向にあります。私が最初に興味を持ったのはその点でした。選挙権が与えられる基準はどのようなものだったのか(日本だと例えば直接国税15円以上を納める満25歳以上の男性)、選挙権が与えられるまでにどのような議論がなされ、どのような運動が生じたのか、選挙権が与えられたことによって社会にどのような変化が生じたのか、などに関心を持つに至ったのです。そして、そのような研究をしていくうちに辿り着いたのが、masculinity「男性性」という考え方でした。