いくりんのブログ

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

影山優佳さんと日向坂46(中編)

 気付けば二期生の台頭がめざましい。突然のドラマワークショップから、ドラマ、舞台、バラエティと着々と力を付けてきた二期生の存在は、長濱ねるが抜けた衝撃を遠い過去のものにした感がある。思えば長濱ねるありきでスタートしたこのグループがここまでの成長を遂げると誰が予想しただろう。

ひらがなけやきの一期生が悪かったわけではない。漢字欅という世にも珍しいアイドルグループが脚光を浴びる中、イベントはついでに付いてきた握手会やライブのみ。そのような状況からすれば、昨年(※2017年)の一期生だけのZEPPライブは大きな転機だった。本人たちの楽曲は少ないものの、ポイやカラーガードなどの出し物ステージや英語娘によるパフォーマンスやメンバーによる笑いに富んだMCなどはそのポテンシャルの高さの主張とトーク力の向上に大いに役立ったに違いない。その過程で長濱ねるのひらがなけやき離脱と二期生の加入が立て続けに生じるが、決してひらがなけやきのその後の躍進と一期生の成長は断絶として語るべきものではない。一期生のパフォーマンス力、トーク力の向上なくして今のひらがなけやきは存在しないのである。

とはいえ、二期生が即戦力だったことは否定のしようがない。その裏にはとにかく真面目で貪欲な努力が窺える。何事も吸収していく意欲の高さは、この世界に幸運にも入ることのできた喜びを存分に活力に変えているように見える。ややもすれば、バリバリに歌もダンスも喋りも何でもこなせてしまうアイドルは近寄りがたい存在になってもおかしくないが、彼女たちから未だに親近感は失われていない。まるで友達のように、気さくに接することのできる美少女がそこに立っている。

 今年(※2018年)一年間、感心してもしきれないのが、佐々木美玲と佐々木久美の存在だった。佐々木美玲が比較的高身長でダンスにも定評があることはわかっていたが、突然のセンター抜擢には驚いた。しかし、その選択は間違っていなかったと今となっては感じられる。そもそも彼女がセンターとして活躍することによって、ひらがなけやきの強みが表れてきたと思われる。齊藤京子加藤史帆といった人気メンバーはセンターに相応しいポテンシャルを持っているが、佐々木美玲のような背丈には恵まれておらず、動きの鋭さで存在を示すことはできても背中で示すことはできない。センターに求められる資質は、最も目立つことのできるポジションだからこそ最も全体と調和した存在になることができるかにかかっている。正直、佐々木美玲が周りを活かせる存在だということは予想していなかった。そして、何色にも染まれるアイドルは少ない。憂いと儚さと優しさと笑顔を丁寧に表現できる貴重なアイドルだと感じる。強烈な憎悪や恨み、妬みといった表現も見てみたいものだ。

 佐々木久美はとろけるクリームシチューのような存在だ。とろけているといっても、とろけているのは加藤史帆の方なのだが、佐々木久美のとろけるじゃがいものような包容力と人参のような主張の貴重さに感動してやまない。クリームシチューにじゃがいもは必須だが、キャプテンのそのお茶目な人柄、その柔らかい物腰、感謝の心を忘れない謙虚さ、お姉さんのような頼もしさと優しさ。知れば知るほど深みのある女性アイドルだと感じる。人参のような主張があるからこそ単調な味わいから解放され、洪水のようにグループが流されていくことを食い止めることができる。流暢に、ぺらぺらと話すわけでもなく、厳粛に、どっしりと喋るわけでもなく、彼女が紡ぐ言葉ひとつひとつが人間としての大きさ、余裕を感じさせる。強烈なリーダーシップというわけではないが、今を生きる若者の集団の中で見本となるような親しみのあるリーダーシップではなかろうか。その愛嬌と芯の強さに心打たれること、数知らずである。

 走り出す瞬間はもう通り過ぎたのだろうか。それとも今まさに彼女たちは走り出そうとしているのであろうか。東名阪ツアーの幸せな空間は色褪せることなく、くりすますまで通じていた。日本武道館3daysを走り切った彼女たちを見て私は心から泣いていた。見向きもされなかった二軍の集団が衆目を集め、トップアイドルまで成長していく過程は筆舌に尽くしがたい。ただ、私には彼女たちの努力も、報われない苦しさも、代わりという悔しさも、見返してやるという度胸も、感覚的にしか知る術がない。しかし、何となく成長した、可愛くなった、綺麗になった、踊れるようになった、喋りが上手くなった、ファンと作り上げるライブが盛り上がるようになったというちょっとした変化だけで充分、感動的ではないか。まさしく、ファンをハッピーにするという至上命令に想像を超える速度で応えてくれるアイドル。それがひらがなけやきなのだと実感していた。

影山優佳という優れたアイドルがいて、その存在の尊さに涙することがあったが、ひらがなけやきの存在があったからこそ彼女を知ることができた。推しメンがいないライブなど意味がないと思われるかもしれない。たしかに影山優佳というアイドルの存在は大きい。四甘のカレーを食べようとは思わないが、それでもその人柄を敬愛すること限りない。しかし、ひらがなけやきは彼女なしに充分に大きなアイドルへと成長しつつある。彼女が大きな夢を叶えようと努力する、その原動力のひとつにもなっている。努力がどのような形で実を結ぼうとも、その両者の過程を見つめていかんとするまでである。

(次回につづく)