いくりんのブログ

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

男性性と歴史研究

前回、大学で西洋史を学んでいたときに興味を持ったのがmasculinity「男性性」という話をしました。今回、この男性性について少しだけ掘り下げてみます。

 私たちが普段の生活で男性性という言葉を使うことは滅多にないと思います。「あの人の男性性はどうかしてる」「彼の男性性に惹かれたんだよね」といったことは、まず言わないと思います。とは言え、男性性というのは簡単に言えばmanliness「男らしさ」のことなので、誰かが男らしいとかそうではないかというのは割と使う表現だと思います。

 私たちが男らしいと言うとき、それはどのようなことを指しているのでしょうか?背が大きい、筋骨隆々で力持ちであるといった身体的特徴から、家族を養っていくために必死に働いてお金を稼いでいるという社会的性質や、言葉や行動で威厳のある態度を子供に示したりする道徳的性質など様々なものが挙げられると思います。ただし、それぞれはそれぞれの「男らしさ」として完結していて、その性質は何かと比べて変化するとかそういったものではありません。要するに、「男らしさ」といったときにそれは要素の列挙でしかないということです。

 しかしながら、私たちは男らしさというものに何らかの社会性を付与しようとします。社会性を関係性と置き換えても良いでしょう。背が大きいのは、それ自体は実際の身長に基づいていますが、大きいというのは社会的に見て相対的に背が高いということであり、他の一般的な情報を知っているからこそ判断できることです。家族のために働くという行為は、生活のために必要だからという実際的な問題ではありますが、男が稼ぎに出るということが社会的に見て立派だという価値観が存在しているからこそ正当化されます。それは男女の「領域分離」の問題に関わる今日でも非常に重要な論点です。

 男らしさというものには社会的・文化的な制約が付いて回り、そしてそれは女性との関係性において理解されることがしばしばあります。誰かがある人を「男らしい」とか「男らしくない」と言う場合に暗示しているのは何らかの価値判断の基準です。つまり、何らかの物差しを参照するとその個別の要素や対象はどういう価値を有しているのかあるいは有していないのかということを考えているわけです。そしてその物差しは社会的・文化的に決定され、人々の中に意識的/無意識的に広まっている雰囲気に依存します。例えば、日本人が日本で生活していれば、無意識のうちに日本的な男女の関係性に関する価値観を身につけているわけですね。その物差しに基づく男らしさのことを、ここでは「男性性」と言います。要するに、男性性とは、個人の行為や選択が社会や文化の理想や規範に基づいて表現されたものを言います。従って、男らしさという多種多様で雑多な要素(これには、以上に挙げたものの他にも、男性が男性との間で公的/私的な関係性を持つことも当てはまります)を包括的に結びつけて規範的に表現したものが「男性性」となります。

 男性性という概念は、政治史研究に重要な影響を与えたと言われます。従来の歴史研究における政治史というのは、国家や国民の歴史という「上からの歴史」が中心でした。高校の世界史の教科書に登場してくるような歴史上のイベントというのは基本的には国同士の戦いであったり、エリートが優れた制度や法律を作ったりしたことを説明するのが中心です。しかしながら、歴史は単純に偉人やエリートで片づけられるほど単純なものではありません。また、そのような人々も何らかの社会的、文化的文脈の中で生きていたと言えるわけです。そこで、男性性という考え方が有用でした。つまり、法律や制度、戦争や植民地政策など、偉人やエリートの政策決定や言動には男性性という規範が影響していたと考えられるわけです。具体的には、政治家が人気取りのために「強い」男性性を演じることは戦争行為の正当化に一役買ったと言えますし、既婚男性が買春を行うことは、家庭における立派な男性像からの逸脱を意味しており、法律の改廃制定に影響を与えていたりします。

 男性性が政治史研究において重要視されるようになったのはここ30年程の話ですが、その背景には言わずもがなジェンダー史、女性史の発展があったことも忘れてはなりません。歴史における男性の相対化という考え方からジェンダー史という考え方が広く取り入れられるようになってくると、前述のように既存の男性史にも見直しが必要になってきたという文脈があるわけです。

 以上が大まかな男性性と歴史研究に関する説明でしたが、私が研究を始めた頃、非常に参考にしたのが、イギリスの歴史研究者のJ.Toshの著作(A Man’s Place(1999)/Manliness and Masculinities in Nineteenth-century Britain(2005))でした。後の卒論には男性性という概念を実際の事件・出来事に適用しながら叙述を展開していきましたが、理論的な部分で依拠したのがToshの作品で、今でもこれらの本はある意味私の人生の財産のひとつではないかと思っております。

A Man's Place: Masculinity and the Middle-Class Home in Victorian England

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