いくりんのブログ

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

影山優佳さんと日向坂46(前編)

 

少し前にはなるが、昨年の年末にひらがなけやき(現日向坂46)のクリスマスライブを見に行ってきた。それに際して、年末に「ひらがなけやき影山優佳」というタイトルでちょっとした気持ちを綴っていた。今回からはそれらを紹介しながら、影山優佳というアイドルに少し迫ってみたい。

 

 久しぶりの感覚だった。今年(※2018年)の6月27日、大阪フェスティバルホールひらがなけやきの東名阪ツアーに参戦した際、一年前のZEPPライブが思い起こされた。本格的なライブ参戦は初で、アイドルのライブの雰囲気とはこういうものなのだと実感した覚えがある。こういうものなのだと言われてもどういうものかわからないだろう。その場には多くの男女、年齢を問わず揃った熱気あるファンが思い思いにアイドルの推しの名前を叫び、歌に合わせて掛け声が盛り上がる。

テレビで見たことのあるあれか

と、冷静に引き気味に眺めることはない。場の熱気は私を高揚感に包み、気付けばアイドルのパフォーマンスに夢中になっていた。

 そのライブでは、終演後メンバーがお見送りをしてくれるという些細なイベントがあった。その時、私はアイドルに恋に落ちた…。

などということはない。影山優佳というアイドルに出会っていながら、この時は彼女に対して特別な感情を抱くことはなかった。しかし、ひらがなけやきのライブはアイドルを応援することの楽しさを教えてくれた。

 いつの間にかアルバムが発売され、いつの間にか飛躍していくアイドル。東名阪ツアーはハッピーオーラを標榜するひらがなけやきが独り立ちしたライブだった。一年前にはいなかった二期生が加わったことで、一期生だけではできない数で見せるダンスパフォーマンス、両者を対比させた楽曲、様々なバリエーションのユニットが誕生した。そのひとつひとつが、彼女たちのポテンシャルと乖離することなく、私の心を浄化していく。

盛り上がること、声を出すことが楽しい

彼女たちは、喜怒哀楽の数々の感情を演じることができ、その感情を聞き手に強要するのではなく、それをショーとして提示することができる。作り物といえばそれまでだが、作り物にも魂が宿っているのだ。その情熱が感じられるからこそ、ライブに参加する多くの人が「今、幸せだなあ」と実感を得ることができるのではないか。

 見えているものだけで人を判断することは難しい。6月1日(※2018年)の突然の知らせは、その存在の大きさを知らせた。影山優佳というアイドルは不思議な人間で、笑顔を見せているときに本当に幸せな気持ちなのか、何か無理をしているのか、判断に困る人物である。否、それだけならまだしも、他人に喜んでもらいたい、他人を幸せにしたいという気持ちを持っていながら、自分の幸せが何なのか、自分とは何者なのかという哲学的命題と常に戦ってきた人物である。バラエティで見せる爆発的な笑顔。パフォーマンスで見せる弾けるようなダンス。ファンに対する謙虚な姿勢とお茶目でノリの良いボケ。メンバー思いのリーダーシップと優しさ。影山優佳を見ているとますます人間の複雑な内面が想起される。

見えているものだけで判断したくない。その奥に潜む本質を見透かしたい

長濱ねるの言葉が蘇ってくる。弱さを抱え込むことは悪いことではなく、強さを見せつけることが良いことでもなく、本当の自分は何なのかという答えのない問いを社会における関係性の中で育んでいくことができることは幸せなことだ。明るくて元気で、人を楽しませることが大好きだが、理解されないかと心配で孤独になったり張り切って自分を繕ったりする。自分が望んだわけではないが、そうやって生きていくしかないのは宿命か。私は、本当の自分を受け入れてくれる存在に巡り会えたことが最高の財産になることだけは確かだと言いたい。それは遠い部外者であっても、彼女を心から愛し、存在に感謝するすべての人たちのおこがましい願いであってほしいと思っている。

(次回につづく)