いくりんのブログ

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

愛を伝えたいだとか

愛を伝えたいだとか言っても、伝えたところでどうなるのかという話である。

 

「愛してる」という甘ったるい大人の響きは、どうしてもアイドルにも恋人にも似つかわしくない。なぜなら、愛してるという言葉は本当に愛してるから出てくる言葉ではないからだ。本当に心の底から湧いて出てくる言葉は、「好き」であったり、「嬉しい」であったり、「楽しい」であったり、「ありがとう」であったり、「おめでとう」であったりする。愛してるという言葉はふと出てくる言葉ではない。虚飾であり、カッコつけであり、不安の裏返しでもあったりする。

言い方を変えるなら、大切な人のことを大切であると証明するかのような呪文なのだ。それが、悪いわけではないし、別に間違ったことを言っているわけでもない。純粋に好きな人に対して「愛してる」というのはロマンティックで良いではないか。ただ、その証明が自分自身に対して向けられるものだとするとなかなか心が痛む。

永遠に好きでいられるなんて保証など誰にもできない。ただ、愛してるという言葉を、気持ちを、直接伝えられないもどかしさが愛してるを加速させる。本当に自分が相手を愛してるかどうかなんてどうでもいいときもある。しかし、愛してるという気持ちを伝えられないことは苦しくて苦しくて仕方がないのだ。どうしようもなく、抱きしめたいような衝動に駆られ、病みつきになるようなセックスに明け暮れる。熱烈な性の欲望は、愛の証明が容易にできそうな気がしてしまうからだ。でもそんな証明はできないかもしれないし、できない状態に置かれる。だから、せめて愛してるという言葉を、愛という概念を口にして考えて、どうにか自分の愛を確かめようとする。その営みは切なく無様で情けなくて寂しい。

「愛してる」という言葉の一方通行は、だんだんおセンチな気持ちになるだけだ。私の世界には君しかいないのに、君の世界に私はいないかのような、虚しさがある。しかし、その気持ちに嘘をつきながら生きることもまた同等の、またはそれ以上の虚しさを募らせていくなんてこともあるやもしれませんね。

あいみょんが描いている世界はこれとは少し違いますが、空虚な愛に遭遇したときの気持ちを男性目線で描くのもなかなか面白いなと思います。

 


あいみょん - 愛を伝えたいだとか 【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

終わり