いくりんのブログ

つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

日向坂46における「ハッピーオーラ」の変容とその受容

はじめに

 2018年12月12日と13日に行われた、ひらがなくりすますが活況を呈し、2018年は武道館で始まり武道館で終わる形となったひらがなけやき(当時)。2019年はさらなる飛躍を目指し活動に当たっていた彼女たちに告げられた改名は躊躇いと期待をもって迎えられた。2019年2月11日の発表を聞いた頃は、欅坂46(以下、ひらがなけやきを含まない場合は「漢字欅」といい、ひらがなけやきを含む場合は「欅坂46」という。)の「黒い羊」の発売を控え、ひらがなけやきの勢いもあり一定の熱量をもって応援していた記憶がある。そのさなかでの「日向坂46」への改名は、衝撃的であり、意義深いことであった。

まず、漢字欅とともにひらがなけやきという歴史を歩んできたメンバーやファンにとって、独立というのは、ある種寂しさを感じるものであった。平手友梨奈と柿崎芽美、菅井友香守屋茜と佐々木久美・加藤史帆といった組み合わせが好きだった人からすると、簡単に受け入れられるものではなかったはずだ。それは、アイドルをメンバーの関係性の物語として楽しむファンの習性である。とはいえ、独立が必要不可欠なものであったのも確かだ。彼女たちが人気を集めつつあったとしても、ひらがなけやきという中途半端な立場では限界があった。少なくとも内需(既存のアイドルファン)の拡大はあっても外需は見込めなかっただろう。「ハッピーオーラ」をモットーとしてきた彼女たちの挑戦がスタートしたのである。

 3月に1stシングル「キュン」、7月に2ndシングル「ドレミソラシド」、10月に3rdシングル「こんなに好きになっちゃっていいの?」をリリース。2020年2月19日には4thシングル「ソンナコトナイヨ」の発売も決定している。個人としての仕事も増え、齊藤京子加藤史帆といったラジオパーソナリティーや、齊藤京子加藤史帆佐々木美玲、佐々木久美、高本彩花小坂菜緒といったメンバーのモデル活動以外にも、アイドル雑誌の取材・グラビアやテレビ出演など、多くの場面で活躍するメンバーが出てきている。冠番組の「日向坂で会いましょう」(略称、「ひな会い」又は「ひなまし」又は「ひなましょう」。私は「ひなまし」派。)におけるオードリーとの絡みはオードリーファンも取り付けるほどの好評ぶりで、メンバーのバラエティー能力の高さには舌を巻くことも多い。今や日向坂46は順風満帆な扱いを受けそれに相応しい結果を残していると言っても大げさではないだろう。

 しかし、数ヶ月ほど前から、私はある疑問を感じていた。それは、「ハッピーオーラ」とは一体何だったのかという疑問だ。また、それを幸せな雰囲気とざっくり捉えたとしても、最近彼女たちの口から「ハッピーオーラ」という言葉を聞くことがめっきり減ったなと思っていた。ひらがなけやき時代はあれほど「ハッピーオーラ」を喧伝し、「ハッピーオーラ」というカップリング曲(欅坂46の7thシングル「アンビバレント」収録曲)を出すほどだったにもかかわらず、なぜその言葉を聞かなくなったのだろうか?

私はそのことについて考えを巡らせていると2つの仮説に辿り着いた。

 

①運営戦略の転換があったのではないか?

②ハッピーオーラに対するメンバーの考え方が変わったのではないか?

 

上記の2つの仮説について考える際に重要になってくるのが、日向坂46の改名にあたり、ファンの愛称となった「おひさま」との関連である。ここでは、日向坂46のハッピーオーラがどのように変容していったのかをおひさまとの関連で述べていくことにする。

https://youtu.be/X_272v7K8QY


1.ハッピーオーラの矛盾

 そもそもハッピーオーラという曖昧なものをグループ(ひらがなけやき)のカラーにしたのは、当時の漢字欅のイメージカラーとの対比するためだったと考えられる。社会への反抗、大人への抵抗、理解されない生きづらさといった、人間誰しもが持っているであろうダークで薄暗い陰鬱な世界観を表現することが多い漢字欅に比べると、ひらがなけやきは、比較的前向きで、アイドルらしく元気が出るような、盛り上がる楽曲を担当することが多かった。

ひらがなけやき時代のZeppライブや2018年1~2月の武道館3days、東名阪ツアー、ひらがなくりすますなどの様々なライブを経るごとに彼女たちのパフォーマンス能力は明らかに向上していたしファンとの一体感は深まっていった。また2018年4月より冠番組の「ひらがな推し」が始まったことで、それまでとは違いメンバーそれぞれに直接スポットが当てられることが増え、バラエティ活動やSHOWROOM配信、握手会などのイベントを通じて、漢字欅とは違う、彼女たちの素の一面をより近くで感じられるようになり、ファンにとってひらがなけやきは幸せを感じられるような存在になっていた。

もちろん、そのようなイメージはファンにもメンバーにもあったが、あえて「ハッピーオーラ」を謳い文句として強調することによって、漢字欅との差別化を図っていくことになった。これは運営戦略の一環であり、ちょうど2017年末のZeppツアーの幕張ファイナルから、ひらがなけやきが武道館3daysを見事に成功させ大いに人気を集めていった2018年頃の時期に当たる。

 ただ、考えてみると不思議なもので、ハッピーオーラとは一体何だったのか。「私たちはハッピーオーラに溢れています」、「ハッピーオーラをモットーとしたアイドルです」という風に説明する彼女たちは本当にハッピーだったのだろうか。それはまるで自分たちが幸せな状態であり続けなければならず、ファンに対して幸せを届けなければならないという一種の強迫観念に近いものだったのではないか。それはまた、自分たちが幸せそうに振る舞ったところで自己満足に過ぎず、誰かに幸せを届けるとは言ってもそれは自分たちの思い上がりに過ぎないのではないかという自己矛盾に陥りかねない。

同時に、いくら欅坂46内で妹分としてアルバムを発売し、冠番組を放送することができたとしても、ひらがなけやきは所詮欅坂46というブランドを借り続ける2軍のような集団に見られかねず、独自の名前を持たないことは、自らの主体性を十分に打ち出していくことができないということだった。ますますハッピーオーラという言葉がひとり歩きして彼女たちが何をしたいのかが見えにくくなっていたのだ。

 

2.ハッピーオーラの転換

 しかし、2019年2月11日の発表は光明だった。改名から日向坂46としてのデビュー、そして現在に至る激動の日々のどこかの段階で、そうしたハッピーオーラに関する矛盾はあまり感じられなくなった。それは運営戦略の転換とメンバー個人の考え方の変化に要因が見出される。

 第一に、日向坂46は、独立によってひらがなけやき時代のような漢字欅の妹分として漢字欅との対比で戦略を取る必要が無くなったため、差別化戦略の方法を単なるイメージ戦略から変えることに成功したという点である。敢えて坂道グループのイメージ戦略を単純化して述べるなら、乃木坂46=美しく華があるグループ、欅坂=カッコよく胸に刺さるグループ、日向坂=アグレッシブで笑顔になれるグループといったところだろうか。大事なことは日向坂がこのような幸せを感じられるグループである以上に、ファンとの相互交流を重視するグループだということだ。それはひらがなけやき時代から変わらないと思われるかもしれない。実際、ファンとのライブを大切にする文化はもともとあったし、がむしゃらに頑張っている姿がひらがなけやき時代からの魅力のひとつだった。ただ、ハッピーオーラという謳い文句が先行して、本来の魅力である、ファンと作り上げる幸せなライブは単なる結果として見られていた。だが、日向坂46が誕生し、他の坂道グループと差別化を図っていくために、日向坂はハッピーオーラという抽象的な価値を提供するというよりは、若年層を中心とした皆で一緒に楽しめるアイドル像に重点を置くようになった。

 デビューシングル「キュン」や2ndシングル「ドレミソラシド」といった楽曲はひらがなけやき時代の楽曲にはあまりない初々しさや若々しさを提示するだけでなく、キュンキュンダンスやドレミダンスといったダンスを動画アプリTikTokに投稿するという坂道グループとしては初の試みを行った。これは、若い世代を中心とするファンと一緒に曲を共有して広めていこうという戦略の一環である。

この点については2つの見方ができる。一方で、インフルエンサーによる拡散でダンスの真似をしたりメンバーに興味を持ったりといった効果が得られるというのは、新規ファン獲得のひとつの戦略として考えられる。他方で、これが重要だと思うのだが、ファンを取り込んで、皆で楽しく盛り上がりたい、幸せを共有したいというハッピーオーラの真の具現化を図っていくためだと考えられる。

例えば、キュンやDash&Rushという楽曲に見られるコールはメンバー考案のものだが、ファンが一方的にアイドルを応援するという従来のコール(アイドルが自発的に発信するものではないコール)とは違う。アイドルがファンとともに作り上げるコールであって、一体となって盛り上がり、「楽しい!」という幸せを感じられるコールである(ただ、その受容については議論の余地がある)。もちろん、ひらがなけやき時代の楽曲の親しみやすさや盛り上がりは、メンバーとファンの間で時間を掛けて醸成していった幸せを感じられる瞬間である。

 ハッピーオーラを届けるというスタンスで臨むことは非常に大変だ。なぜならハッピーオーラというものが一体何なのか誰も分からないからだ。誰も分からないものを誰かに届けるのは難しい。「幸せ」は状態として存在する“もの”ではなく、その時に快楽として感じられる“感情”だ。だから、「幸せ」と誰かが呼んでいる“もの”を誰かから届けられたところで幸せを感じることはない。そんな“もの”はないのだから。

そうではなく、「アイドルがバラエティ活動に楽しそうに励んでいる」、「アイドルのメッセージアプリを見ていると元気が出る」、「ライブを共に作り上げることが楽しい」と自ら感じる、体験している今その時の感情が「幸せ」なのだ。幸せを届けるアイドルから、幸せを共に体験するアイドルへ、日向坂46のハッピーオーラ戦略は大きく転換した。

 第二に、メンバー内で「ハッピーオーラ」に対する意識が変わったことも挙げられるだろう。ハッピーオーラを声高に叫んだところで、当の本人がハッピーでなければ単なるビジネス的な戦略になってしまう。幸せか幸せでないかなど、本人にしか分からないし、本人がその場で感じた感情や意見をないがしろにし、無理をしてまで「私は幸せです」ととびっきりの営業スマイルを見せられたところでその虚飾に受け取り手はすぐに気づいてしまう。

「セルフDocumentary of 日向坂46」第2回の潮紗理菜の発言にも見られるように、ハッピーオーラは自らが誰かに向かって口に出すものではなく、自然とその言動から感じ取れるものだ。彼女たちがハッピーオーラをファンと共有できているという実感はないのかもしれない。しかし、ファンのためにがむしゃらに努力し前向きに一致団結し笑顔を振りまく日向坂46の言動に、ファンは感動し応援したいと思い幸せを共有したいと願う。彼女たちの姿を見ていると自然とハッピーオーラを感じ、幸せをお裾分けしてもらっている気分になる。そして、その感謝や感激の気持ちをメッセージや握手会で伝えたり、SNS等でファン同士が共有したりする。幸せは無理に誇示するものではなく、自然と現れる感情であり、そうした形で連鎖していく。

 だからこそ、日向坂46にとってファンは最も重要な存在なのだ。ファンは「おひさま」で、日向坂はおひさま無しには輝けない。メンバーがいくら努力を重ねて幸せを届けようとしても、おひさまがいなければその幸せは自己満足に過ぎなくなる。メンバーはおひさまにハッピーオーラを届けるのではなく、おひさまとともに幸せな空間を体験し作り上げていくのだ。

 

おわりに

 今回考えたことをまとめると以下のようになる。

なぜ日向坂46になって「ハッピーオーラ」という言葉があまり聞かれなくなったか?

それは、ハッピーオーラを誰かに届けるという一方的な押し付けから、誰かの幸せを自らの幸せとして実感し、また誰かの幸せを願うというアイドルとファンの間の幸せの連鎖といったものが、従来のハッピーオーラに置き換わったから

 

日向坂46の戦略がどのようにファンに受容されているかは完全には分からない面も多い。3rdシングルのしっとりとして熱のこもったバラードも、4thシングルの王道アイドルロックチューンも、1stや2ndの戦略とは全く違ったものであるし、若年層だけでなく、幅広い世代のアイドルファンを取り込みたいという狙いが見える。その転換に対し、以前は良かったけれど、今の曲は気に入らないとかその逆の反応だって当然あり得る。だが、根本的な部分は何一つ変わっていないと思うのだ。おひさまとともに作り上げていく幸せを感じられる空間。幸せを感じられる関係性、そしてその連鎖・・・。

「私の幸せをあなたへ届けます」という自己主張の文化から、「私の幸せはあなたとともにあります」という共感の文化への変容は、ある意味アイドル業界、そして現代の社会の潮流を物語っているのかもしれない。